はしがき

 

 

 

本書の発端は45年前にさかのぼる。1970年代のはじめ、筑摩書房が「現代法学全集」の刊行を企て、そのなかの1巻として私に『大陸法』の執筆を依頼してきた。推挙者は伊藤正己先生であった。私はそれまで法学全集の執筆を依頼されたことはなく、大いに感激して早速お引き受けした。当時のわが国で独力で『大陸法』を書けるのは私以外にはいないという自負心もあった。もっとも、これがたんなる自惚れで、客観性を欠くものであったことを自覚するには、時間を要しなかった。

 

それはともかく好都合だったのは、当時の北大法学部の制度改革により、北大に比較法のポストが三つ与えられ、それを英米法、大陸法、社会主義法にわけ、それぞれ専門家による講義が可能になったことである。そこで私は「大陸法」4単位の講義を毎年担当した。その講義を数回担当したのちに『大陸法』の執筆に取り掛かることにした。しかも北大では3年間講義に専念すれば、つぎの1年は講義をまぬかれるという好条件に恵まれていた。もっとも最初の研究部所属期間の大部分を『法学入門』の執筆に充ててしまったため、『大陸法』については最初の3章までで時間切れになった。そこで残りは、つぎの研究部所属期間中に書き上げる予定でいたところ、筑摩書房が倒産し、「現代法学全集」の刊行は放棄された。これにより、私の『大陸法』の執筆は棚上げとなった。

 

もっとも当時の私にとっては他大学で講義を担当することが多く、とくに東北大学で約20年にわたり、1年おきに(最初は4単位、のちに2単位)ドイツ法の講義を担当した。内容は、「大陸法」の講義のうち、フランス法の部分を省略したものであったが、毎回200名ほどの履修者がいた(ちなみに北大での私の比較法講義の履修者は平均して10人前後にすぎず、合計しても100名に達しなかった)。北大定年後も、札幌大学大学院、東北学院大学大学院、最後は北海学園大学法科大学院で「比較法」や「ドイツ法」の講義を担当し、本書の基礎となる仕事は続けられた。

 

その間に新事態が到来した。かつて筑摩書房で「現代法学全集」を担当されていた須藤忠臣さんが悠々社という出版社を興し、その仕事の一つとして、中絶していた「現代法学全集」のいくつかを同社で刊行することになり、『大陸法』もその候補となった。

 

70歳を超えて、札幌大学を退職したのちは、残された仕事を片付けることにあり、本来なら『大陸法』の執筆に取り掛かるべきところ、諸般の理由で、まず『人格権法概説』(有斐閣、2003年)を上梓し、つぎも予定を変更して、『比較法ハンドブック』(勁草書房、2010年)を上梓した。そこでいよいよ最後の著書として予定していた『大陸法』の執筆にとりかかった。まず本のタイトルであるが、いまどき『大陸法』ではだれも読んでくれそうもないので、もうすこしアトラクチブな『ヨーロッパ私法への道』とし、サブタイトルとして『現代大陸法への歴史的入門』を加えることにした。そしてその最終章に「ECEUの発展とヨーロッパ私法への道」を予定していた。

 

ところが90歳を過ぎてから、体調が一変し、最終章を書く元気がなくなったので、最終章は割愛して、残りだけで出版することにした。もともと最終章の中身は、拙著『比較法ハンドブック』(第2版、2015年)の最終章と大同小異なので、関心のある方は、そちらを参照していただければ幸いである。それに私の「大陸法」や「ドイツ法」の講義はそこまで行ったことはなく、通常10章の前半で終わっていたので、講義を残したいという私の願望から言えば、それで足りると考えられる。あしからずご了承願いたい。

 

なお、サブタイトルとして「歴史的」ということばをいれたが、歴史学の専門家でない私にとって、本格的な歴史が書けるわけがない。本書は、日ごろ民法の実定法に親しんでいるかたに、民法のそれぞれの制度や理論に長い歴史のあることを多少なりとも知ってほしいとういう願望で書かれたものである。本書では、かなり多くの内外の文献が引用されているが、引用は網羅的でなく、例示的であることもお断りしたい。といっても、本来なら重要文献に限って引用すべきところ、その点も十分でなく、たまたま購入、恵与、コピーにより手元にある文献を優先させたことも多い。

 

本書の成立までには、多くの先学・同学のかたがたのお世話になったが、それに対するお礼はここではすべて省略したい。ただ、悠々社の社長・須藤忠臣さん(かつて早大でローマ法の佐藤篤士ゼミに属していた)の獅子奮迅の働きがなければ、本書が世に出ることは到底なかったので、あつく感謝したい。それともう一人、同居の孫の泰夫の介護がなかったら、本書の完成が考えられないので、この機会にお礼を申したい。

 

本書は私の長い学者人生の最後になるので、だれに捧げるか問題だが、やはり60年以上にわたって私と苦楽を共にし、さる6月21日に92歳で逝去した妻のふさえに捧げたい。

 

 

 

2015年8月  札幌にて

 


 

五十嵐

 

戻る