はじめに

  ―戦争の惨禍を繰り返してはならない

 

 1945年の敗戦・降伏により死の直前から生き残って70年、

 私も米寿の歳となった。これまで幸い年齢の節目を迎えたとき、『60 年の断章 随想断篇
と年譜・著作目録』、『古稀記念 労働法学と労働運動』(1999 年、佐藤昭夫先
生古稀記念文集編集委員会)、『喜寿を迎えて 明治憲法下の17 年と戦後憲法
下の60 年』(2005 年、悠々社)など、専門の領域にとどまらない、時々の思
いを含む小著を誌してきた。今回もその続編として、この書を編んだ。
軍国主義一色だった少年時代を経ての、生涯を通じての強い思い、ことに
現在の状況におけるそれは、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない、そ
のためには何が必要か、という問題意識である。その根底には、次のような
戦時中の体験があった。


 13 歳で自ら進んで軍隊に アジア・太平洋戦争開始の翌1942 年4 月、私
は13 歳で親元を離れ、仙台陸軍幼年学校(陸軍将校養成機関の一つ。将校と
は当時の階級区分で、兵、下士官の上の、少尉以上をいう)に入校した。

「大御戦くさは我を呼ぶ 昭和の子ら(この年に入校したのは、13、4 歳の昭和生まれ)の
赤き血は 見よ独立旗翻る 世界維新に捧げんと 勇んで集う 三神峰に」
(仙幼46 期生歌、「三神峰」とは同校の所在地名)。このようなことを、信じて
疑わなかったからである。それだから、終戦の年には陸軍予科士官学校を終
え、兵科決定のさいにも、当然のように航空科を志願した。それは、必ず特
攻隊(「特別攻撃隊」と称した体当たり自爆機隊)隊長となることを意味してい
た。


 戦争の現実 だが、こうした思いは、現実を知らない一方的な思い込みに
すぎなかった。日本の戦争は、「自存自衛」「東洋平和」「欧米の植民地支配
からの解放」、そして最後には「国体護持」などの目的を掲げていたが、そ
の実は自分が欧米に取って代わろうとし、莫大な犠牲を強いて敗戦やむなし


 権力による「価値観の押し付け」と、それへの批判 私らより少し上の大
正デモクラシーの空気を吸った世代は、戦争への批判も遺書の中に書き残し
ている。また私の同期生でも、魏志倭人伝を引いて、皇国史観の歴史の教官
に質問した者もいた(戦後知ったのだが、彼はそれ以来、「思想不良」として

「要注意人物」とされていたという)。だが私は、歴史や現実を見、自分の頭で考
えることを知らなかった。そのため、幼年時に植えつけられた権力による価
値観の呪縛から逃れるには、復員後3 年余りの日時を要した。それができた
のは、早稲田大学において、野村平爾、戒能通孝両先生に接してからのこと
である(今の早稲田大学は、少数の個々の良心的教職員がいるにせよ、組織とし
ては当時の見る影もない。第10 章、など参照)。


 その後の私 その後、私は1999 年の退職まで早稲田大学で労働法担当教
員として、経済的・時間的に家族に苦労をかけながら、恵まれた研究・教育
の生活を送ることができた。また、在職中からの国鉄分割民営化批判につい
て、退職後は弁護士として関わった(鉄建公団訴訟弁護団長)。その他、国労
5.27 臨大闘争弾圧事件、大阪の港合同労組の多くの事件や、和田闘争、早稲
田大学年金裁判などの弁護団に加わり、また裁判所への意見書を書き、使用
者の労働組合法、労働基準法違反などについて、告発を行なうなどした。現
在は、都教委(東京都教育委員会)の高校の日本史教科書の選定に対する権
力的介入の違法を訴える裁判の原告団長となり、経済産業省前の「テントひ
ろば」での原発事故、原発政策に対する怒りと批判・抗議の表明に対する国
の立退きと損害賠償請求に対する弁護団活動に携わっている。
こうした中でいくつも失敗を重ねながら、大学在職中から弁護士時代を通
じ、大きく良心に恥じることは、無かった積りである。1982 年3 月のノー
トに、「辿り来て この道のほか 我になし この道を行かむ 意識消ゆる
まで」と記してあった。


 本書の構成 こうした私の行動は、国内外に多くの災厄をもたらした戦
争の反省から生まれた主権在民、非武装平和、基本的人権尊重の憲法が、巧
言令色の権力によって崩されようとすることとの闘いであった。本書では、
第一部で「『国のため』『自存自衛』とは、何を意味するのか」として、改め
て戦争への反省と、歴史の改竄に対する批判、教育や思想・表現に対する権
力統制の恐ろしさについての小論を集めた(1 ~ 4 章)。
そして現在、前述した戦前の状態にも似て、権力による「国論統一」のた
めの動きが強まっている。その一例として、都教委は高校の日本史教科書選
定について、実教出版社の教科書に「一部の自治体では公務員に日の丸・君
が代を強制する動きがある。」との注記がある点が、「都教委の考え方と異な
るから、教科書として適当でない」という指示を各高校長宛に出した。また、
フクシマ原発大災害後、原発廃止を訴える人々は、経済産業省前の公開の空
き地に「テントひろば」(テント3 張り)を設置しそこを拠点に原発廃止を訴
え続けて今日に至っている。国は、この訴えに耳を傾けるどころか、その立
退きとともに、1,100 万円の損害賠償まで請求してきた。第二部『権力によ
る事実隠蔽・批判封殺・意識誘導の危険性』(5 ~ 6 章)は、この問題を扱っ
ている。


 さらに、私の専門とする労働法の分野でも、「軍国主義」と結びついた「新
自由主義」の風潮が広まってきた。安部内閣は、与党多数の立法権を使って、
労働者派遣法や労働時間の制限撤廃などにより戦後の労働法の理念を破壊
し、「世界で一番企業の活動しやすい国」をめざすという。またそれだけで
なく、現行の労働法無視が、医療や大学の分野にまで及んでいる。第三部
「労働基本権の法理を主張して」は、こうした現状に対する批判の告発や裁
判所等に提出の意見書を収めた。彼らの狙う「多数専制」への抵抗の法理の
一端として、なんらか参考になれば、との思いである。 
終章は、それらの問題を含め、これまでの経験を振り返っての私の現在の
思いを書き綴った。
なお、余録として、急激な時代の移り変わりの一端を示すために、それに
対する短い感想を記した早稲田大学退職後のここ十数年の年賀状を収めた。


 恩師の逝かれた年を越え、恩恵を受けた祖父母や父母、兄弟・姉妹、長男
を含む多くの親しい人々が世を去られた中で、これまで私の生きてきた米寿
記念として、読んで頂けば幸いである。

 

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